1869年を振り返る —— ジャイアントパンダ発見150周年記念展覧会
  • シェア:
  • 時間:2019-02-07

 1869年、「フランス・パリの国立自然史博物館の新公文書」第5巻にて、フランスの博物学者のアルマン・ダヴィッド氏が四川省宝興県で“黒白熊”という新種を発見し、学名がAiluropoda melanoleucaと定められたという鑑定報告が発表されました。発表後、ジャイアントパンダは高山の密林から世界中へとその存在を知られることとなりました。

 800万年前から地球上に生存するジャイアントパンダにとって150年という時間はほんの一瞬にすぎないでしょう。しかし、我々にとっては間違いなく重要な意味を持つ時間と言えます。今回の展覧会は、時系列に沿って「一緒に帰ろう」、「域外保全」、「ジャイアントパンダと世界」、「1869年を振り返る」の4つの展示ブースに分かれています。
 展示ブース①「一緒に帰ろう」—— 今こそ、ジャイアントパンダを森へ返そう

 このブースでは、ジャイアントパンダの国家公園と野生復帰の現状と未来の展示がされています。

 ジャイアントパンダの飼育下の個体群を継続させるためには、その飼育個体群が種の保全に対してもたらす意義を明確にする必要があります。ジャイアントパンダを飼育下で繁殖する主な目的は、自己維持が可能な飼育個体群を形成し、最終的にその個体が野生復帰を遂げ、野生個体群の再形成と復興を図ることです。現在、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(以下、成都パンダ基地)は195頭の自己維持が可能な世界最大のジャイアントパンダの飼育個体群を有しています。これらの個体群は、計画的に展開されているジャイアントパンダの野生復帰プロジェクトにも多大な意義をもたらしていると言えます。
 展示ブース②「域外保全」 —— ジャイアントパンダの救援から世界一流の絶滅危惧種の科学研究保護機関設立に至るまで

 ここでは、1980年代におけるジャイアントパンダの救援ブームと成都パンダ基地の設立について展示されています。

 1974年から1976年にかけて、ジャイアントパンダの生活史において飢餓時代が到来します。中国国家林業局から派遣された調査隊により、甘粛と四川両省において138頭のジャイアントパンダの死体が発見されたという報告が残っています。そして、ジャイアントパンダの大量死の原因究明が間に合わないまま、今度は1983年の夏に岷山山脈と邛崃山山脈で500頭以上のジャイアントパンダが食糧危機に直面していることが分かりました。その情報を受け、世界中でジャイアントパンダの救済ブームが巻き起こりました。当時、63頭のジャイアントパンダが救済され成都市に搬送されましたが、そのうちの6頭は生息地の劣悪環境により再びその地に返すことが不可能と判断されました。そうして、生息地外における種の保全戦略が構築され、ジャイアントパンダの救済ブームの中、1987年に成都パンダ基地が設立されたのです。

 30年あまりの発展を経て、成都パンダ基地はジャイアントパンダの域外保全、科学研究を応用した繁殖・育成、国際協力プロジェクト、野生復帰に関する研究、保護教育活動、エコツアー、パンダ文化の設立などを一体化させた世界一流の専門機構へと成長を遂げました。
 展示ブース③「ジャイアントパンダと世界」 —— 20世紀初め、ジャイアントパンダが世界に向け、はばたく

 このブースでは、1800年代末から1970年代における展示が行われています。

 ジャイアントパンダは、中国の外交において非常に重要な役割を担い、1957年から1982年にかけて9か国に計24頭のジャイアントパンダが贈られました。ジャイアントパンダは、故郷の山々を離れて海を渡り、中国から世界への大きな扉を開く重要な使命をその双肩に背負っているのです。現在では、レンタルという形式で世界各国とジャイアントパンダの国際協力関係を結び、17か国で60頭あまりのジャイアントパンダが暮らしています。その中でも、1994年に成都パンダ基地と初の国際共同繁殖計画を締結した和歌山県の南紀白浜アドベンチャーワールドは、繁殖数最多の優秀な成績を収めています。これまで、10回の繁殖の末、15頭の育成に成功し、中国国外における最大の飼育個体群を形成しています。

 1961年、世界自然保護基金(WWF)の創立者であるピーター・スコット氏は、ジャイアントパンダの「姫姫」(ジージー)を同基金のシンボルマークのモデルに選出しました。そうして、ジャイアントパンダの代表種としての地位が確立されました。
 展示ブース④「1869年を振り返る」 ―― “黒白熊”、新たな種の発見

 1862年から1874年にかけて、ジャイアントパンダが人類に認知されるようになったきっかけについて展示されているのがこのブースです。

 1869年、フランスのある博物学者がパリの自然史博物館から、四川省の宝興県での標本の収集と鄧池溝教会の4代目神父任命とを言い渡されました。その神父こそが、アルマン・ダヴィッド氏です。

 その年の春、ダヴィッド氏は、四川の山奥に標本作りのための植物採取に赴きました。その道中、1軒の農家で水を御馳走になった際、神父は偶然、黒と白の動物の毛皮を発見します。初めてその毛皮を目にした神父は、日記にこう記しています。「“黒白熊”。猟師の話によると、身体の大きなこの動物は、耳は短く、尾はさらに短い…ヨーロッパにある標本の中に、このような種は存在しない。これは、私が知り得る中で最も美しく素晴らしい種であるに違いない。まさしく、新種の発見だ!」その後、ダヴィッド氏はジャイアントパンダの標本をパリの自然史博物館へ送り、当時のミラー・エドワーズ館長の鑑定を経て、ジャイアントパンダは正式に新種であると認められました。そうして、山奥でひっそりと暮らしていたジャイアントパンダは人類の目にさらされるようになったのです。

 





































  • 住所:中国四川成都外北成都大熊猫繁育研究基地、郵便番号: 610081
  • ©2007成都大熊猫繁育研究基地